日常力 大災害と日本骨髄バンク
伝える人、託す人、運ぶ人

 2011年3月11日のその時間、コーディネート部長の坂田薫代さんは、松山空港に向かっていました。同じコーディネート部でドナー安全・末梢血幹細胞移植担当の折原勝己さは既に松山空港に着いて、登場手続きも済んでいました。また同じ空港には東北地区事務局・コーディネーションスタッフの石澤郁子さんなど、たくさんのコーディネーターさんらも居合わせました。そしてその時間、移植調整部長の小瀧美加さんは、神田にあるバンク事務所(7階)にいました。

 以上の方々のお話を、ご自身に回顧していただくかたちで綴って行きます。

 また、この時に骨髄バンクからの骨髄移植を実施した福島県の病院の先生や看護師さんにもお話を伺いました。追ってお話を掲載したいと思っておりますが、私が大変遅筆であることをご理解いただき、気長にお付き合いください。

 なお、「語り口」ですが、私はご登場の方々に畏敬の想いを抱いておりますので、姓をそのまま主語にするのは気が引けます。そこで、多くの方には「私」でお話いただき、ときには敬称付きでのインタビュー記事での掲載となります。でも繰り返しますが、私からのインタビューにお答いただいたお話を私が執筆した文章ですので、すべて文責・橋本です。

 また、最初にお願いしたことを繰り返し述べさせていただきます。いずれここに移植を行った施設名や医療関係の方々もご登場になります。被災下の事実としてかつて報道されたことでもあり、新聞記事にもなりましたのでご存知の方も多いと思いますが、骨髄バンクの理念を鑑みて、ドナーさんと患者さんのお名前を類推なさらないようお願いします。

震災時の所属:ドナーコーディネート部 ドナー安全対策・末梢血幹細胞移植対応担当
*非常時でしたから、特別に移植施設からの要請を受けて、私が採取施設に出向いて福島県へ運びました。
震災時の所属:移植調整部長
*東日本大震災後の混乱の中で、実は自分達だけでは何も決められない、という当たり前のことを再認識しました。
震災時の所属:ドナーコーディネート部長
*皆で手分けして調べたドナーさんの安否。全員の方が無事だったと分かった時は本当にほっとしました。
震災当時の所属 東北地区事務局/コーディネーションスタッフ
*その中のある日、・・・・・、私は松山の空港で震災発生を知ってから初めて、号泣しました。
震災時の所属:福島県立医科大学病院血液内科
次回、安斉 紀さん