NPO法人血液情報広場・つばさ 理事
橋本 明子

特定非営利活動法人 血液情報広場・つばさ 理事長
公益財団法人 日本骨髄バンク理事
一般社団法人 MDSラウンドテーブルmember
つばさ支援基金運営
1986年に長男が白血病に罹患したことから骨髄バンク設立運動を起ち上げました。1991年、骨髄バンク(骨髄移植推進財団)の発足を見て、1992年より血液がんと小児がん患者・家族への情報提供活動を開始し、1993年に現在の血液情報広場・つばさの前身団体を発足して今に至ります公益財団法人 日本骨髄バンク理事
一般社団法人 MDSラウンドテーブルmember
つばさ支援基金運営
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1986年7月 | 長男(10歳)が慢性骨髄性白血病と診断 |
1987年10月 | 公的骨髄バンク設立要求のための啓蒙活動を効果的に展開するために「全国骨髄バンクの早期実現を進める会」設立 代表に就任 |
1988年2月 | 日本で初めての骨髄移植に関するシンポジウム開催 講師 東京大学病院 輸血部教授 十字猛夫先生、ほか 設立要求議員請願署名運動のために「全国骨髄バンク推進連絡協議会」設立 代表に就任 請願署名運動開始 |
1989年5月 | 請願署名 77万人分国会へ提出 国会で議員(二院クラブ)からの質問に対し厚生大臣より「設立の認可」 |
1990年1月 | 厚生省内において骨髄バンク検討会議開始 |
1991年12月 | 日本骨髄バンク(骨髄移植推進財団)稼動 |
1992年2月 | 長男逝去 |
1994年5月 | 日本つばさ協会(患者・家族への情報提供活動団体)設立 代表に |
電話相談で傾聴主任に 1)1997年~厚生科学研究班「小寺班」により骨髄バンク患者相談窓口開始 2)2001年より日本白血病研究基金を育てる会「白血病患者さん電話相談」 3)2007年~日本臨床研究支援ユニット「がん電話情報センター」 ※電話相談(累計3万件、対面対応1万2千件)、2019年(コロナ禍で集まれずいったん閉鎖) | |
2003年8月 | 日本つばさ協会からNPO法人血液情報広場・つばさに 以降、血液がん・小児血液腫瘍当事者への情報提供活動(セミナー開催 年5回~7回) 継続して今に至る 情報紙Newsletterひろば 年2回(夏号、冬号)発行、継続 |
2005年 | 法政大学非常勤講師 |
2009年 | 日本骨髄バンク(当時・骨髄移植推進財団)理事に就任 |
20010年~ 2015年 | 第一次のつばさ支援基金開始 |
著書 | 『翔べ!白血病の息子よ』海鳴社 『風の中のめんどりたち』あけび書房 『ママにことばも残さずに』新日本出版社 ほか |
それからずっと理事の皆さんの協力のもと、フォーラム・セミナーの企画、開催時の司会進行、ひろばの編集などを続けています。
つばさでの担当・役割
理事の皆さんの協力のもと、フォーラム・セミナーの企画、開催時の司会進行、ひろばの編集など
皆さんへのメッセージ
情報が無い、ドナーがいない、お金がない、都心から遠いなどの‘条件’でたいせつな治療が届かない人が無いように、といつも願っています。
井上 富美子

小児がん対策国民会議 共同代表
つばさでの担当・役割小児がん患児・家族の支援者として
皆さんへのメッセージ
1980年、次男が神経芽腫に罹患した経験から千葉県内での小児がん患者家族支援を継続していました。その後、活動を後輩にバトンタッチし、小児がん対策国民会議を立ち上げ、小児がんの薬剤開発促進と患児の闘病環境の改善を図る活動をしています。
小児がんの治癒率の向上とともにこれまで見えなかった新たな問題(晩期合併症)が生じている一方、いわゆる小児がん経験者と呼ばれる多くのサバイバーたちが社会人として自立しなければならない年齢になっています。しかしながらそういった問題への社会的理解が進まず、彼らの自立が難しいのが現状です。どういう支援をして、彼らの自立を促し、彼らの将来を明るくするか、皆様もご一緒に考えていただければと願っております。
北尾 奈々

神戸骨髄献血の和を広げる会
つばさでの担当・役割広報担当
皆さんへのメッセージ
兄の小児闘病の記憶からか大学時代に出会った部活動で献血と骨髄バンクの推進に打ち込んできました。その頃よりつばさの大阪フォーラムへ母と共に参加させていただくようになりました。
その後、兵庫県赤十字血液センターにて勤務し、「献血が必要にならなくなる日まで血液事業に携わっていたい」という想いで退職後も骨髄バンクの説明員として活動に参加してます。
情報収集が容易ではなかった時代から最新の情報を、患者さんに寄り添い提供してくださったつばさ。感謝と共に、今後はつばさの一員として頑張っていきます。
Newsletterひろば 掲載記事
<佐々木まなつの一問一答>献血は、あたたかい光のようなもの(2008年12月号)
小瀬良 克也

MPN-JAPAN
つばさでの担当・役割広報担当(Instagram更新)
皆さんへのメッセージ
2001年9月に本態性血小板血症と診断、現在は病気のコントロールをしながら元気に仕事や趣味を満喫しております。
これからも皆さんと一緒にこの病気を学びながら上手に付き合いつばさの理事として情報提供活動を頑張ります。
後藤 千英

会社員
つばさでの担当・役割広報担当
皆さんへのメッセージ
17歳のときに骨髄異形症候群と診断されました。
重大な病気なのにそうとう悪くなるまで「経過観察」しかないということに呆然としました。
移植にとても抵抗がありあらゆる治療を受けましたがどれも効果なく「これは以上はやばい」と自分のからだの状況を自分の診断ができたときに移植をうける決意ができました。
家族も友人も応援はしてくれているけど、最終的に決めるのは自分ひとり。とても孤独でした。
つばさにはそんな孤独な気持ちを理解してくれる仲間がたくさんいます。
毎年全国各地でフォーラムが開催されます。ぜひ会場へお越しください。
みんなで待っています。その際は声をかけてくださいね。
Newsletterひろば 掲載記事
<Activity:妊孕性温存術に保険適用を>(2020年8月号)
<Message>小児がん・若年がん罹患者の妊孕性(精子保存・卵子保存)に保険適用を(2021年8月号)
<Activity>ご報告:がん治療と妊孕性温存の助成制度(2023年7月号)
小林 洋大

マルコテクノロジー株式会社 代表
・システム開発・各種技術協力
・障害者支援施設運営
つばさでの担当・役割・システム開発・各種技術協力
・障害者支援施設運営
運営技術担当(IT全般・YouTube)
皆さんへのメッセージ
2014年と2016年に日本骨髄バンクを通じて、骨髄提供しました。
現在の日本骨髄バンクの規定では提供は2回までという決まりですが、その後も患者さんへ何か出来ることはないか、との思いでつばさと出会いました。
以後、全国で開催されるフォーラム・セミナーの運営に協力していくなかで、一人でも多くの患者さん・ご家族へ実のある情報をお届けすることの大切さを実感しています。
フォーラム・セミナーの会場に赴かなくとも、YouTube「つばさチャンネル」をはじめ、世界のどこにいても必要な情報にアクセスできるよう、今後もより有効な情報提供活動の手段を皆さんと考え、実行していきたいと思います。
Newsletterひろば 掲載記事
<ひと> 骨髄提供も献血も“尊さの体感”をいただくこと(2018年8月号)
<My story>グループホームの仲間たちと 献血の習慣、骨髄バンクで2回提供、つばさとの出会い(2022年7月号)
下田 智子

つばさでの担当・役割
神戸、京都等のフォーラムで受付を担当しています
皆さんへのメッセージ
1990年、5歳の息子がALLを発症。3年間の治療終了後、1ヶ月で再発。
病院では、ほぼ匙を投げられたような状態で途方にくれていた時、橋本さんが出版された本に巡り合い、治療の選択肢を与えられました。情報を得ることの重要性を痛感。
皆様が最適な情報を得て、元気を快復されることを願っています。
Newsletterひろば 掲載記事
<Melody of Family>たくさんの出会いに導かれて~今ようやく振り返れます(2024年7月号)
神戸、京都等のフォーラムで受付を担当しています
皆さんへのメッセージ
1990年、5歳の息子がALLを発症。3年間の治療終了後、1ヶ月で再発。
病院では、ほぼ匙を投げられたような状態で途方にくれていた時、橋本さんが出版された本に巡り合い、治療の選択肢を与えられました。情報を得ることの重要性を痛感。
皆様が最適な情報を得て、元気を快復されることを願っています。
Newsletterひろば 掲載記事
<Melody of Family>たくさんの出会いに導かれて~今ようやく振り返れます(2024年7月号)
宮城 順

つばさでの担当・役割
フォーラム・セミナーの開催協力
皆さんへのメッセージ
7才 慢性骨髄性白血病を診断
9才 兄から骨髄移植
33才 初のテストステロン投与
34才で声変わり、心身が安定したことを実感
小児がんも血液疾患も、病気が治ったら治療(医療との関わり)は終り」ではなく、「社会に適応できるようになるまでが治療」だと実感しました。
これからも自分の経験を、つばさの情報発信や、日本各地での情報提供の機会に参加して、今も同じように辛い思いをしている人や関係の医療者に向けて発信していきます。
Newsletterひろば 掲載記事
<ひと>晩期合併症との長い付き合い 小児CMLを骨髄移植で克服 ―34歳で声変わり?!そして、その後+母の、それから (2022年7月号)
フォーラム・セミナーの開催協力
皆さんへのメッセージ
7才 慢性骨髄性白血病を診断
9才 兄から骨髄移植
33才 初のテストステロン投与
34才で声変わり、心身が安定したことを実感
小児がんも血液疾患も、病気が治ったら治療(医療との関わり)は終り」ではなく、「社会に適応できるようになるまでが治療」だと実感しました。
これからも自分の経験を、つばさの情報発信や、日本各地での情報提供の機会に参加して、今も同じように辛い思いをしている人や関係の医療者に向けて発信していきます。
Newsletterひろば 掲載記事
<ひと>晩期合併症との長い付き合い 小児CMLを骨髄移植で克服 ―34歳で声変わり?!そして、その後+母の、それから (2022年7月号)
矢萩 淳

専業主夫
つばさでの担当・役割セミナー等のお手伝いをしています
皆さんへのメッセージ
一緒に歩んでいきましょう。
You Tube
https://www.youtube.com/c/矢萩淳チャンネル
𠮷村 美惠子

つばさでの担当・役割
・薬剤一覧表作成
(薬を服薬して闘病する血液がん患者さんとそのご家族のために作成)
目下改訂版を作成中です。
(薬剤の進化のスピードに追いつこうと努力中)。
・つばさのフォーラム準備等
皆さんへのメッセージ
慢性骨髄性白血病診断から24年。
インタフェロン投与から始まり、分子標的薬(イマチニブ、ダサニチブ、ニロニチブ)にて寛解状態を保っています。
2度にわたる分子標的薬STOPの治験を経て、様々な副作用と昨今の感染症と付き合ったことなど、患者の皆様および家族の皆様への情報をお届けしたいと思っております。
最近は家族の介護にも直面して、患者でありながらの介護の向き合い方とはと考えています。
・薬剤一覧表作成
(薬を服薬して闘病する血液がん患者さんとそのご家族のために作成)
目下改訂版を作成中です。
(薬剤の進化のスピードに追いつこうと努力中)。
・つばさのフォーラム準備等
皆さんへのメッセージ
慢性骨髄性白血病診断から24年。
インタフェロン投与から始まり、分子標的薬(イマチニブ、ダサニチブ、ニロニチブ)にて寛解状態を保っています。
2度にわたる分子標的薬STOPの治験を経て、様々な副作用と昨今の感染症と付き合ったことなど、患者の皆様および家族の皆様への情報をお届けしたいと思っております。
最近は家族の介護にも直面して、患者でありながらの介護の向き合い方とはと考えています。